生態系の価値評価とその信頼性に関する研究

栗山 浩一



 多様な生態系は地球上に生命が誕生して以来、長い年月を経て形成されてきた。しかし今、さまざまな人間活動によって多数の生物が絶滅の危機に瀕し、生態系の破壊が深刻化している。こうした事態に、世界的レベルで生態系に対する関心が高まっている。もっとも生態系に対してはさまざまな価値観が存在するため、しばしば開発か、保護かをめぐって深刻な対立を生んでいる。
 本論文は生態系がもっている価値を客観的にデータとして示すことによって、生態系の開発と保全の対立を解決するための方策を明らかにしようとしたものである。第1章の課題と方法に続いて、第2章では生態系の価値とその評価方法について検討した。まず、環境のもっているさまざまな価値の分類を行い、その中で生態系価値について利用形態の観点から「直接的利用価値」、「オプション価値」、「遺産価値」、「存在価値」に分類した。そしてその評価手法について検討し、結論としてCVM(仮想評価法)を取り上げ、これまでの主要な海外の評価事例を紹介するとともに、その評価が環境政策の中でどのように利用されたかを明らかにした。
 第3章はCVMの理論を整理し、CVMをめぐる論争を展望した。CVMは理論的には直接支払意志額(WTP)や受入補償額(WTA)をたずねて、補償余剰や等価余剰によって価値評価を推定するやり方で、質問項目の作成に際して現在の環境状態と仮想的状態の二つが想定されなければならないこと、またWTPを用いるか、WTAを用いるかは、所有権の所在と密接な関係にある。この評価手法に関してはバイアスの問題や倫理的満足の問題など多くの批判を受けてきたが、NOAA(アメリカ商務省国家海洋大気管理局)がガイドラインを作成してから以降、アメリカではCVMが重要な情報として議論の開始するための「出発点」として位置付けられるようになった。  第4章はダム開発をめぐって開発側と保護側が対立している北海道函館市の松倉川の河川生態系の評価を行った。また、ここでは単に生態系の価値を金額で評価するだけでなく、一般市民の中に生態系に対する価値観がどこまで形成されているかを明らかにすることを課題にした。WTPによって金額をたずね、評価結果の信頼性を高めるために二段階住民投票方式を用い、評価額の推定は単純なシンプルモデルによって行った。その結果、生態系価値および景観価値のWTPは函館市民でそれぞれ12,128円、11,499円、札幌市民でそれぞれ13,947円、13,164円であった。
 しかし、推定されたWTPがどれだけ信頼に耐えうるか。この課題を第5章で解明する。上のシンプルモデルに対して、WTPに影響を及ぼすと思われる要因をモデルに組み込み、WTPの構成要因を明らかにする。また、生態系保全と景観保全との違いを回答者が認識しているかをチェックするためスコープテストによる検証、信頼区間の検証、およびダブルバウンド方式による下方バイアスの検証を行った。これらの結果は、一般市民の中には完全には生態系に対する価値観が形成されていない、形成途上にあることが明らかになった。ここでCVMによって評価された金額は松倉川の生態系に対するこうした現段階での一般市民の一つの意思表示である。 第6章はラムサール条約指定区域に登録された釧路湿原を対象とした生態系の価値評価を課題とし、この評価に際して倫理的満足度あるいは温情効果の影響の有無を考察した。評価は仮想ランキング(CR)を用いて行い、その信頼性を検討した上で、湿原保全政策の費用便益分析を行った。ここで明らかになったことは社会的に最適な保全政策は国立公園の約2.7万haを守るだけでなく、周辺を含めて保全することが面積数値として示された。また、倫理的満足度の影響については、回答者のWTPには生態系の価値と倫理的満足の価値の両方が含まれていることを明らかにした。
 第7章は結論と今後の課題を明らかにした。評価結果は生態系を視野に入れて森林・河川・農地・湿原など流域全体を総合的に保全する必要性を示唆した。しかし、評価の信頼性の点についてはまだまだ改善の余地があり、この評価はダイナミックに変化する社会の中で形成段階にある価値観を瞬時的に示したものにすぎない。その上で、わが国においてCVMを環境政策の中に位置付けるためには、市民参加あるいは住民投票によって市民の意見を環境政策に反映させる機会を制度的に保証することが不可欠であるとした。

参考文献

 栗山浩一『公共事業と環境の価値』 1997年11月 築地書館刊


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